一歩一歩を大切に

山は人生を変えるのか?を知りたくて山に行く!

【はじめに】山の記憶

1つ前の記事「プロローグ」に記載したように2012年、登山靴の“なんとなく買い”から始まる私の登山。

それ以前に山との接点があったかどうかを思い出して見た。

 

1.小学校2年の遠足

筑波山登山だった。「つくばさんとざん」という文字だけが記憶に残る。

先生は「みなさんは なんたいさんにのぼります」と、全く実感の湧かない言葉を発した。

とりあえず「登山」というキーワードが私の人生にインプットされたイベントであった。

 

2.高1 飯綱山登山

千葉県立某高校の夏休みの学校行事は「男子はテント、女子はバンガロー泊の飯綱山登山」だ。

持っていくもの着ていくものを事前に学校に持っていき、先生のチェックを受けるというツッパリかどうかの検査付きという思い出しかない。

登山そのものは全く覚えていない。誰かの問いに振り返りつつ歩く。そして案の定、太い木の枝に後頭部直撃の痛い思い。

その当時、夏の高温で電車のレールが歪んで電車が走れない事件が起こった。長野駅から千葉に帰る電車は動かなかった。急遽手配された夜行バスで帰る。などなど山とは違う思い出満載。

果たして私は飯綱山に登れたのか?は全く思い出せない。

 

3.大学生になる

なんだろう大学入学前のあのフワフワした時期。南極越冬隊になる為にはどうしたらいいか?という思いを漠然と抱き、「なんとなく地球科学とか勉強したらいいんじゃない?」と思った。折しも 「共通一次試験」世代である。あまりの試験結果にこれは教育学部に志望を下げないとダメだ!と現実が迫ってきた。何が何でも大学生になりたいと渇望した私は地元の大学の教育学部に間違って入学してしまう。間違ったものはやはり人生の間違えであり、途端にやる気を失う。「そうだ私は地球科学を学びたかってのだ」翌年再受験。人生に遠回りは付き物だと実感。某城下町にある大学の理学部地学科入学。教養課程から専門課程に進級すると全員で登山靴を教材として購入。男子は紺色、女子は赤、メーカー不明、靴のサイズは普段の靴のを申請、フィット感?全く考慮無し。初めての登山靴である。地質調査用にハンマー(ピッケルみたい)とクリノメーター(コンパスと地層の傾斜角度を測る機能あり)も教材購入。

しかし、地学というのは思った以上に難解な学問である事に気付き困惑。もう南極どころじゃない。苦しかった。ただ地形図があるのが当たり前の環境は良かった。

 

4.新人社会人

女子社員3人で1泊2日の尾瀬ハイキング。尾瀬なのに鎖場があった。苦しい。

もう山は嫌だと思った。

 

5.産休明け

職場復帰した頃、センター長(所属していた組織のトップ)はノボルプロジェクトと称し新入社員を毎年巻機山(まきはたやま)に連れて行く行事に志願。センター長室に出席者は呼ばれ、確認される。「君たちの登山靴の靴底はビブラムソールかな」と。これは登山靴が必要?

デパートで紺色のビニールで出来たようなミズノの登山靴を買った。登山靴の選び方はまだ知らない。2足目の登山靴である。

沢コースで登山道を進んだ。ところがである、若者達滑って転ぶ事多く、「この先は斜面をトラバースするのだが、通り過ぎるまでに3人以上居なくなりそうなので、ここで戻る!」という判断のもと撤退となった。

 

これから18年が経ち、こんな私がある日から山に目覚めたのだ。

何故だかはわからない。

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