【奥多摩】2015/05 川苔山 心が折れる
🔳はじまり
奥多摩の川苔山が気になっていた。人気の山である。それでいて結構遭難も多いと聞く山である。
いろいろ行く準備を進めているうち、スタイリッシュ女子からメールが届く。
「次はどの山へ行くのですか?」と。
ふと「かわのりやま〜」と答えたところ「ついて行っていいですか?」と聞いてきた。
「いーよー。遅くしか歩けないのはご存知の通り。」
とまた連れ立って出掛ける事になった。
健脚な人と一緒に行くのはちょっと辛いのだが。ついて行けない分、心は自分の鈍足を責め続け、一歩一歩「ごめんなさい。ごめんなさい。」という声にならない言葉を頭の中で繰り返してしまうのだ。山に登って自分を嫌いになるのである。「歩くの遅いよ」と言うとたいてい相手は「私も遅いから大丈夫」と言うのであるが、実際遅ければ「病気なんじゃないの?病院行った?」「今日はどうしたの?(どうもこうもいつも遅いの知ってるくせにそう言う)」と言われるのが常々で、行く前から「またそういう会話の繰り返しか。。」と勝手に想像して結構な憂鬱。そうすると行くのすら嫌になってくる。
ああ私も人並みに歩けるように努力しよう。そうしない事には永遠にこの悩みと憂鬱を解決する事は出来ないのだ。
趣味にのめり込むと出て来る「立ちはだかる壁」はつきもので、結局のところその壁を取り払うのは自分自身の改革しかなかったりする。
🔳コース
JR奥多摩駅 からバス乗車。
川乗橋バス停下車の王道コース。
🔳待ち合わせ
JR奥多摩駅改札を出たところで待ち合わせる。
トイレは混むので寄るならダッシュで改札を出て寄っておこう、とお互いに事前に意識確認。
私は、待たせては申し訳ない、バスに乗り遅れては申し訳ないと思いダッシュトイレ。2巡目で入れてラッキーである。トイレを後にするとトイレの列が大渋滞になっていて、これは大変そうであった。
奥多摩駅改札に戻る。
彼女は見当たらない。するとゆっくりゆっくり彼女はホームから降りてきて、改札に出てきた。
本日も素敵スタイルなスタイリッシュ女子である。が、彼女は一言「トイレ行ってくるね〜」と。おおお〜、ゆっくり出てきてさらにあの渋滞に並ぶのか。。。だれかと一緒に行くとは、人を待つという事なのだ。心を広く持てない自分を呪うしか無い(;ω;)
彼女の時間の流れでもバスには無事乗れた。ただただ、私自身に私が疲れていた。
🔳川乗橋バス停から
バスは混んでいた。川乗橋バス停でほぼ同じ全員下車である。今更ながら人気のある山だと思った。そして薫風の5月、新緑美しく、快晴。混まないはずは無いのである。
バス停からアスファルトの道がしばらく続く。途中バイオトイレあり。このコースの最終トイレとして寄っておく事にしたが、個室一個に大渋滞。さすが5月の奥多摩である。
登山道途中に崩壊箇所ありとの事で迂回路としてさらにアスファルトの道を歩き続ける。
🔳登山口
登山口の矢印に従う。迂回路から入る道は若干急で細い尾根を下って行く事から始まった。
沢まで下り、さらに沢沿いの道を進み木橋の所まで来た。一休み。
ここまで来ると人の姿がまばらな感じがした。感じだけね。
新緑がやたら眩しい。
美しい沢沿いの道。
自然の美しさはいいなぁ。
心の中では相当感動しているが、だからと言ってそういう感動を誰かと共有しようとか思わない。きっと個人、個人でそれぞれの感じ方は異なるだろう。私がこのポイントに感動しても、他人も同じとは限らない。そしてボキャブラリーが少ない私は、感動しても、楽しくても、大満足でも、口にする事はほぼ無い。
だ、か、ら、私には友達がいないのである。
そして最も悪い事に友達を作ろうという気が起きない。これはきっと自分が友達だと思っていても相手もそうとは限らないだろうと懸念している自分の自信のなさである事に気付いている。
🔳百尋ノ滝へ
木橋を渡ってから上りの登山道になる。
幅は広くなく、片側が切れ落ちているのが気になる。そういう道をジグザグに上がっていく。そしていつのまにか、行列を作って歩いて行くようになった。
行列を作ってというのが苦手だった。
片側が崖っぷちの道も苦手だった。
いつものように息が切れる。
一歩一歩「いやだ」「いやだ」と心が叫ぶようになってしまった。
いやな自分がまた始まったと思った。だが、どう収めたらいいのかもわからない。
自分自身にうんざりしている自分をますます嫌いになる自分がいる。
やがて百尋ノ滝についた。百尋ノ滝の周りにはたくさんの人がいた。その先に行く登山道も人が数珠つなぎに歩いて行く。
わがままな自分が嫌い。
心が狭い自分が嫌い。
優しさを持てない自分が嫌い。
もうダメだった。心がダメだった。
このまま先に進む事は出来ないくらい身体が固まった。
スタイリッシュ女子に言った。
「今日は戻りたい」
スタイリッシュ女子は「大丈夫?調子悪いのね」と心よく一緒に戻ってくれた。
先ほどの木橋まで戻り沢沿いの岩に腰掛けた。
スタイリッシュ女子は全く動じる事なく静かにあたりを見つめている。
そういう優しい人に接すると自分がいかに嫌な人間であるかという事に打ちのめされた。
見ないようにしていた自分の嫌な部分を突き付けられ、それに驚愕し、絶望し、自分をもっと嫌いになり、そう思うと余りにも惨めで、心が辛く苦しく悲しい。
こんな自分は嫌だ。もっと広い心と優しい心が欲しい。自分を好きになる自分になりたい。
きっとそういう心が持てる日まで川苔山は登れない。
そして、川苔山に登れる日は来るのだろうか?
まだ登れていない川苔山。私にとっては山以上に乗り越えたいものを顕在化してくれたのが川苔山である。
心の隅にいつも川苔山が存在するようになった。